【 入選 】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
これもまた一億分の一の生き方
香川県 飯 沼 花 織 29歳

正社員で働いた。大企業で働いていた。だが来月から私は独立し、フリーライターとして働くことに 決めた。

「この社会を安全に生きていくためには、正社員でなければならない。雇用さえされていれば、安定し た豊かな人生を送れる」

そう信じて疑わなかったかつての私は、大学を出て当たり前のように正社員として就職した。特にやりたいことがあったわけではなかったが、会社で安定した給料と福利厚生に守られ、与えられた仕事を ただこなしていれば、周囲の大人も、そして私も安心した。

仕事にもすっかり慣れてきて、職場でも先輩と呼ばれるようになった3年目の春。会社の健康診断で、 ステージ3の悪性リンパ腫と診断された。

目に見えない人生のレールから外されたのを、その時はっきりと感じた。

ガンは働きながら治す時代へ。...と言われるようになっても、実際のところ現実は厳しい。激しい副作用に痛めつけられた身体ではとても仕事など出来ず、会社は退職せざるを得なかった。

抗がん剤、放射線、骨髄移植。生きるために受けるはずの治療が、死ぬほどに辛いのだ。

無菌室のあるフロアは入院病棟の最上階に位置し、部屋の窓は例外なく鍵が掛けられて開放厳禁だっ た。空気感染を防ぐため。と説明を受けて当時は納得したが、今思い返すと理由はもう一つある気がし てならない。

生きているのか死んでいるのか分からない日々を乗り越え、私は何とか生き延びた。

一年間の闘病生活は、私の今までの人生観を木っ端みじんに砕いていった。しかし、病は様々なもの を私から奪う代わりに、新しい価値観を与えていった。

病室で私が思い出していたのは、今までの自分の半生だった。もし今私が死んだら、生きた証として 何が残るのだろうと考えた。

「正社員でなければならない」という固定観念に捕らわれ、人の評価と体裁を気にしながらいわれる がままに動く。私の意思のない仕事の後には、なにも残っていなかった。

しかし、そんな中でもたったひとつだけ、はっきりと思い出せたことがあった。私は勤めていた人材会社で求人情報の営業をしていたが、掲載する求人原稿を自ら書くこともあった。ある時、たまたま私 の書いた求人原稿を読んだ学生がメッセージに共感し、会社に入社するという出来事があったのだ。

その時感じた、言葉では言い表せないほどの衝撃。私の仕事が誰かの人生を変えるきっかけを作った。その時の高揚感と、責任感。

仕事とは、体裁を気にしながら周りに合わせて働くことではない。顔も知らぬ誰かの人生に意思を もって関わり、その人生を豊かにするために影響を与えることなのだ。そして、すべての働く人が仕事 を通して互いに関わりあって、それが社会になるのだ。

これからは、誰かにメッセージを残す仕事をしよう。それを私の生きた証にしよう。そう決めた。

勿論、今でも正社員として働くこと、大企業で働くことはとても魅力的だと感じる。抜群に安定して おり、圧倒的に守られている。現に一年前、会社の福利厚生である健康診断で私は命拾いしているのだ。

ただ、誰かの価値観に縛られて「こう生きなければならない」と勝手に自分でレールを敷くのを辞めたほうが、自分自身は幸せになれる。もはや正社員である必要も、雇用されて働く必要も、どこにもな かった。

一億人いれば一億通りの人生がある。どんな生き方にだって、正解も間違いもないのだから。

勿論将来への不安はある。不安定だし、どれだけ稼げるかも分からない。自分の実力がどれだけのも のかもまだ未知数だ。

けれど、病気を抱えた体と付き合いながら生活するにあたって、在宅でフリーライターとして働く生き方は向いているだろう。

なにより、与えられた有限の時間を、本当にやりたいことのために費やしたい。

生きる上で、働く上で、一番大切なものを見つけられた。私は、きっともう大丈夫だ。

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