【佳作】
おととしの雪の日、私の父はアルコール依存症による慢性膵臓炎で亡くなってしまった。
父は仕事のストレスをお酒でまぎらわせていたのだと思う。父は駅員だった。新宿は日本一乗降客の 多い駅だ。それを聞いただけでも大変な仕事だと想像していた。そこで父は働いていた。学校の宿題の 作文を書くために父の職場見学をさせて貰ったことがある。
父が窓口で切符を売る姿、ホームで列車監視をする姿、改札口でお客さんの案内をする姿を見せても らった。どの業務も大変そうだった。新宿にはたくさん外国人がいた。箱根に行く外国人に英語で案内 をし、特急が発車する直前には窓口が混雑してイライラしているお客さんの苦情にも父は対応していた。駅のホームの列車監視は怖かった。電車とホームすれすれのところで出発の合図の旗を振らなければな らないからだ。父がホームから落ちてしまわないか見ているのが怖かった。しかし、お客さんの安全を 守ることは駅員さんの一番大切な業務だ。駅員さんは命がけの仕事をしている。私は駅を訪れる人のた めに懸命に働く父の姿が誇らしかった。
しかしそのストレスで家にかえってくるとお酒を沢山飲んでしまう父を見るのがとても辛かった。母 は飲みすぎてしまった父を何度も病院に連れていって点滴をしてもらって帰ってきた。数年間父は、会 社に行って働く、家に帰ってくるとお酒をずっと飲むという苦しそうな生活をしていた。私は見ている 事しかできなかった。父の大変な仕事をみてきたので何かに依存しなければストレス発散できない事は わかった。もっとほかのストレス発散方法があれば父はまだ生きていたはずだ。父にはそれがなかった。
でも何も知らない人にアル中、アル中といわれて亡くなった父がいたたまれなく、世間の人にわかって もらいたい。父は私に優しかったし、沢山残業だってしていた。頑張っていた。私は働く父を尊敬して いた。今だって父に『ただいま』といって帰ってきてほしい。会いたい。自分のように親を幼いときに 亡くして悲しむ子供をなくしたい。だから私は将来、公認心理師という国家試験を取得して精神病院で 患者さんとその家族を支える人になりたいと考えている。父のような患者さんと家族のために自分の体 験から一生懸命尽くしていきたい。自分自身もストレスに負けない心を作って生きる。父が長く生きら れなかった分を自分がかわりに精一杯生きればいいのだ。
働くことは体も心も健全でなければつとまらないと私は思う。この夢にむかって部活のテニスも勉強 も学校行事も人一倍頑張ってきた。充実した中学校生活を送っている。私は、この夢を強い意志を持っ て叶えたい。ときにくじけそうになっても。ときに自分に負けそうになっても。あきらめずに絶対この 職業についてみせる。そして多くの人を救う。
私にはいつでも大好きだった働き者で優しかった父が見守ってくれているはずだから。
私は頑張っていける。