【佳作】
ある朝、いつものように大学へ行こうと部屋を出ると、隣の部屋のおばあちゃんにばったり遭遇してしまった。 してしまった...と書いたのには理由がある。
私は現在大学2年生。大学から紹介された「ひとつ屋根プロジェクト」に参加している。この事業は、 大学生が家賃を免除してもらう代わりに、シニアの方々と共に「サービス付き高齢者住宅」に暮らし、入 居者の方々と一緒に食事をするなどの交流を持ったり、地域のボランティア活動に参加するというもの だ。
若者と高齢者が繋がるための仕組みを学び、過疎化と高齢化が進む自分の地元を活性化したいと考えていた私は、それなりに高い志をもって大学を選択し、このプロジェクトに参加した「つもり」でいた。大きな期待を持って参加したプロジェクトだったが、現実は思っていたよりも簡単ではなかった。シニ アの方は食事の時間帯が早く、学生がそれと同じサイクルに合わせることは思った以上に大変で、初めに取り決めていた、週3回一緒に食事をとることも守れないことが増えていった。忙しい学部だと重々 承知の上での選択ではあったが、日々の講義に加え、学外での実習活動、ミーティング、専門ゼミの勉 強、生活のためのアルバイト。それに加えて「ひとつ屋根プロジェクト」での活動。文字通り、目が回るほどの忙しさだ。必死の思いで全てをこなそうともがいてはみたが、時間が経つにつれ、シニアの方 と関わる時間が減り、ボランティアに参加する数も減っていった。
夢を持って「やりたい!」と思って始めたプロジェクトのはずが、気づけば、「やりたくないけどやらないといけない」ものになり、活動にも身が入らない。ただ同じ建物に住んでいるだけ、という日々が 過ぎて行く中で、何もしていないのに家賃無料で住まわせてもらっているという罪悪感に苛まれる。と 同時に、「こんなことをして意味があるのだろうか」なんて生意気な気持ちさえ抱くようになっていた。自分勝手な居心地の悪さを感じる中、施設内で入居者や職員の方と出会ってもなんとなく避けてしまうようになっていた。
だから、そう、その日お隣のおばあちゃんに遭遇してしまった時も、(あぁ、タイミングが悪かったなぁ...)と、軽く挨拶だけして通り過ぎようとしてしまったのだ。しかし、この後、私は衝撃を受ける。
おばあちゃんは突然、私の部屋のネームプレートを指で優しく撫ではじめた。
「いっつもこうしてね、あなたの部屋の前を通るときは(今日もあなたが元気で1日を過ごせますよう に)ってお祈りするの。あなたも忙しいだろうから、こうして時々会えるとすごく元気がもらえるの。」
その言葉を聞いてその場から動けなくなった。目頭が熱くなる。おばあちゃんに「遭遇」したことに マイナスな感情を持ってしまったことが情けなかった。私たちが支えてあげようと思っていたけど、こ んなおばあちゃんたちの気持ちに自分は支えられているんだ...。最近の自分の行動を思い返し、施設の 他の方々にもとても申し訳ない恥ずかしい気持ちになっていた。思い返せば、高齢者の方たちはいつも 温かく接してくれていた。色んな話も聞かせてもらった。戦時中の娘時代を思い返し、「おしゃれをした り、大学で学べるあなたたちを見て本当に嬉しい」と話してくれたこともあった。
私はここでの生活の中で、幸運にも、かけがえのない学びの機会をもらっていた。そのチャンスを受 け取るか受け取らないかは自分次第だったのだ。今後も同じような場面がやってくるだろう。その時も 自分勝手な解釈や中途半端な取り組みしかせず、逃げていいのか?嫌だ!自分で自分の道を狭めてはい けない。
私は変わります。なんて結びは安易すぎるだろう。多分まだまだ弱い自分はいる。それでも少しずつ、 失敗しながらも、自分の進む道を広げていきたい。おばあちゃんの優しい指先を思い出しながら。