【佳作】
私は今年22歳を迎えた。大学4年生であり、来年大学を卒業する。卒業後は働く必要があるため、就職 活動に挑んだ。最近は「売り手市場」という言葉も飛び交っているが、私には関係なく、ことごとく面 接で落とされた。リクルートスーツであちこちの会社を回って辛うじて銀行から内定をいただいた。来 春から銀行員になることが決まったときには安心したと同時に、一抹の悲しさを感じた。それは「青春」 を失うことから来る悲しさであった。
青春とは主に、生涯において若く元気な時代、主に青年時代を指す言葉である。私は素晴らしい青春 時代を過ごした。高校までは勉強そっちのけで駅伝競技に励んだ。練習は辛かったが、仲間とともに励 まし合い、高みを目指した経験は何ものにも代えがたい。大学入学後には、怪我をして駅伝を断念せざ るをえなかったものの、経済学の勉強に没頭し、友人との白熱する日本経済についての議論は深夜3時 を過ぎるまで展開された。様々なことに挑戦し、夢破れ悔しさに打ちひしがれることもあったが、それ も今ではいい思い出であり、全てが宝物である。
就職が決まったときにもう青春は終わったんだなと感じた。サラリーマンとして会社のために尽くし、 朝からは満員電車に揺られながら通勤する。周りの人間関係にも配慮しながら、出世のために淡々と仕 事をこなす。そのような日々を想像すると、今まで22年間送ってきた青春期との違いに悲しさを感じず にはいられなかった。そのようなことを考えながら歩いていると、ふと立ち寄った書店で一冊の本に出 会った。サムエル・ウルマンの『青春とは、心の若さである』という本だ。その本の中の一説には以下 のように書かれている。
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた想像力、逞しき意志、炎ゆる 情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただ けでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。
この詩を読んだときにハッとした。いつまでも青春は続けることが可能なのだと感じた。私の中に一 筋の希望が灯った。身体的にはもう青年期ではなくとも、理想を捨てなければ、いつまでも青春の時間 を過ごすことは可能なのだと。安定の道に進むため、自分が本当に望んでいる理想を捨ててはいけない と感じた。翌日、私は内定先の企業に内定辞退の連絡を入れた。
私は進路を再び考え、「経済学者」という道を歩むことにした。なぜなら、その学者という道が自分 にとって、いつまでも希望を見出せる職業であると感じたからである。人類の謎を経済学の観点から解 決に挑む経済学者の歩む道はまさに冒険そのものである。社会に学者は少数派であり、特に日本ではポ ストにありつけるものは少ない茨の道である。その道に挑む者は相当の覚悟が必要である。しかし、ど んな困難も自らが持つ意志によって克服できると信じている。優れた想像力、逞しき意志、炎ゆる情熱、 怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心。学者という仕事はいつでもこれらの気持ちを感じ、青 春のときを過ごすことができる。私は自信を持ってこの道を選んだ。
あなたは青春のときを過ごしているだろうか。自分の本当の意思に逆らって理想を捨てていないだろ うか。私は死ぬまで青春していたい。そのために己の情熱を燃やし、いつまでも冒険しているような人 生を、仕事を通じて歩んでいきたい。
参考文献
サムエル・ウルマン(1996)『青春とは、心の若さである』角川文庫