【佳作】
私は大学4年生のときバセドウ病という病気になった。そのため、これまで同級生と一緒に乗ってい たものすごくスピードの速い電車から降りざるを得なかった。その電車にしがみつこうとしたら「急い でいるので他の人のペースを乱す人は降りてください」と車掌さんに言われた。そんな私は、しばらく 降り立った駅で同級生が乗っている電車が自分からどんどん離れていって小さくなっていくのをただ眺 めていた。電車の中で同級生が目を輝かせながら、4月から働く会社のことを教えてくれた。目を開け ていられないほど同級生は輝いて見えたと同時に病気になった自分がただ情けなくて悲しかった。
知らない駅に降り立った私はしばらくその場所から動くことができなかった。自分の価値って何なの だろうと思った。でも動かないといけない。自分は止まっていても時間は止まってくれなかった。仕事 という新たな自分の居場所探しは難航し、「大学であなたは何をしてきたんですか。」「あなたのような人 に仕事はありません。」と言われたりもした。この人は私が大学の講義で一度も寝たことがないこと、成 績優秀者として表彰してもらったことも知らないんだ。この人が知っているのは私が既卒で新卒中に職 を見つけることのできなかったナマケモノということだけだった。私は自分が病気にかかったことは言 えないまま、そのもどかしさ、悔しさから胸が張り裂け、泣いた。
病気になって、この病気の症状は「一生」治らないと主治医の先生に言われたとき、私は目の前が真っ 暗になった。自分が死ぬ瞬間までこの病気と向き合っていかないといけないと思うと怖くなって逃げ出 したくなった。これまで「一生」に一度は行ってみたい場所、食べてみたいものというように「一生」 という言葉の「本当の意味」を理解しないまま「一生」という言葉を私は使っていた。しかし、今回の 「一生」は私の知っている「一生」とは違っていた。あまりにも大きすぎる「一生」という言葉を一人で 私は抱えきれなかった。しかし、電車から降りて立ち止まり、周りを見渡してみると「一生」という言 葉と向き合って今を生きている人々が他にもいるということに気付いた。病気の子どもたち、その子ど もたちの幸せを心から願うお母さん、お父さんの姿、また病気の子どもたちのきょうだいの存在に気付 いたのである。私は彼らがもし、その「一生」という言葉を一人で抱えきれない日があればそうっと側 にいることのできる人でありたいと強く感じた。その人の一生を変えたいとか、そんな大それたことは 思っていない。ただそうっと側にいることのできる人、一人じゃないよ、私もそうだから大丈夫と言え る人がいてもいいんじゃないかと思ったのだ。そんな生き方がしたいと私は気付いたのだ。
そんな私がやっとの思いで辿り着いた場所。それは「放課後等デイサービス」と呼ばれる発達障害の 子どもたちが通所する施設である。そこで私は本当に素敵な子どもたちに出会った。子どもたちが私の 居場所を作ってくれた。子どもたちが私を先生にしてくれたのである。ある日、子どもたちと公園に遊びに行った。一人の男の子が学校の同級生とたまたま会って話していた。「母さんから、障害があるって 言われたんだ。」その言葉を聞いたとき私は胸がきゅーっと締め付けられ苦しくなった。こんなにも優し い男の子がこの先、自身の発達障害のことで泣いてほしくない、自分のことを否定してほしくない心か らそう思った。もっと子どもたちやお母さん、お父さんの役に立ちたい。そう思った私は必死で受験勉 強を始めた。何とか無事に大学に合格することができ、今年の4月から大学で特別支援教育の勉強をし ている。電車から降りたとき、どこに進んだらいいか分からなくて怖かった。でも今は違う。今は自分 が何をしたいか、どんな生き方がしたいかに気付いた。次は私が子どもたちの居場所を作る番だ。