【佳作】
お茶のアレルギーと診断された。
地域に根差して半世紀以上。規模こそ大きくないものの、この地方で抹茶の製造・販売といえば「あ あ〇〇ね」と誰もが名を耳にしたことがある企業に就職した。その1年後のことだった。
店舗に立ち始めて少し。始めは耳たぶがむず痒く、季節外れの霜焼けかと思っていた。
次に手の平が痒くなり、ついには体中に発疹が出て “これはおかしい” と病院に行った。
検査で陽性。『経皮感作』といい、食物を口にすることよりも、皮膚に食物が触れることの方がアレル ギーになるリスクが高い、ということを医師の説明で初めて知った。店頭で多量のお茶の微粉を浴び続 けたことが、発症の原因だろうとも。
初の女性総合職として、ゆくゆくは店舗をまとめる責任者に、と期待をかけられ採用された。マスク に眼鏡、ひじまで覆う手袋をつけて店頭に立ったが、異様な風貌にお客様から心配される始末だった。
痒みで夜も眠れず、ボロボロに剥けた肌とまわらない頭で考える。
このままでは、昇進に必要な鑑定士の資格を取るどころか、1杯のお茶を売るごとに病状が悪化しか ねない。新製品を試して、お客様に味を伝えることも難しい。退職する?就職して1年で?当時はリー マンショックがはじけた直後で、再就職できるあては無い。「これだから女は」と思われたらどうしよう。
店舗の先輩・人事部の部長、入社してお世話になった人の顔が頭に浮かんでは消えた。
結果として、退職を申し出た。
会社が配慮してくれ、一般職へと降格。内勤事務に異動となった。
願っても無い温情だったが、肩身が狭かったのも事実。慣れないパソコン作業に取り組みながら、周 りにどう思われているだろうと、心もとない気持ちで毎日オフィスへ通っていた。
そんな私を気にかけてくれたのだろう。Hさんという、まったく違う部署の課長が声をかけてくれた。
Hさんは、茶菓子製造部門の責任者で、手の空いた時に片付けを手伝ってくれないかとのことだった。
今度こそ失敗してはならない。そんな気負いで、単純作業ながら無駄口ひとつ叩かない私に、Hさん は「そんなに固くならないで」と笑った。作業中にポツポツと話をするようになり、若い頃の自分の失 敗や、母親が難病で介護していることなどを、少しずつ教えてくれた。異動先の人間と早く仲良くなれ るようにと、社内の裏事情をこっそり教えてくれたり、食事会を開いてくれることもあった。
何の事情も無く働いている人などいない。
今朝笑顔で声をかけてくれたあの人だって、実は体調が悪いのかもしれない。家族に大きな問題を抱 えているかもしれない。
そんな当たり前のことに思い至らず「もうこの会社で昇進は見込めない。おしまいだ......」と、自分 のことだけを考えて欝々としていたあの頃の私は、青かったなぁと思う。
もうすぐ、勤続8年になる。私はマーケティングや労務を勉強し、今でも内勤として異動先の部署で 働いている。
同僚の入院。先輩の妊娠。上司の両親の介護。仕事という枠の外でも様々なことがあった。入社当時 は「会社にお世話になる」という意識だったが、今ではチームの一員として、先輩や上司と助け合う、と いう気持ちが芽生えていることに、僭越だが気づく。
ダイバーシティや女性の活躍推進が叫ばれて久しい。
ともすれば、私達は「社会が悪いから」「うちの会社はホワイトじゃないし」と言い訳をして。勝手に 自分の首を絞めてしまいがちだと思う。
しかし、法律や社則の整備よりも、「あなたが今大変なことを気づいているよ」「私にできることがあっ たら言ってね」という周りの人間の姿勢の方が、当事者を救える場合があるということ。私は自分の苦 しかった経験から学んだ。
そんな風に助けてもらった人間は、いつか気持ちよく助ける側にまわることができるだろう。
今度は私が、Hさんのような言葉掛けをできる人間になりたいと、心から思っている。