【佳作】
私の父は仕事のデキる男だった。......らしい。
わざわざ “......らしい” と付け加えたのは、私がその実態を見たことがないからだ。残念ながら、あ くまで周囲の意見から勘案した、推測の域でしかない。
父は生まれも育ちも北海道の田舎で、就職から定年退職した現在もなおそこに住んでいる。おそらく 出張でしか津軽海峡を越えたことがないような、仕事一筋の生粋の道産子である。
父とじっくり仕事の話をしたことがないので詳しくは知らないが、農産物の生産者と市場との間に立 ち、品質管理などをするという裏方の仕事をしていたと聞いている。今すぐ実家に電話して詳細を確認 することもできなくはないが、家庭内ではすこぶる無口なので、それはちょっと気まずい。
そんな口数少なく、朝は早くに仕事に出掛け夜は遅くに帰宅して酒も飲まずに眠る、休日はゴルフと パチンコだけが楽しみという、あまり面白みのあるような人には思えない父である。
しかし、田舎ではそれなりに重宝されているようで、地元で「◯◯の息子です」と言えば「あー、あん たの父さんにはいつも世話ンなってる。よろしく言っといて!」などということがしばしばあった。そ して夏にはお中元、冬にはお歳暮などが当たり前のようにたくさん届き、子ども心に次は何が届くのだ ろうとわくわくしたものだった。
息子である私といえば、父とはまるで違った人生を歩み、田舎を飛び出して東京に出て広告ギョーカ イというややミーハーな世界に身を置いている。それなりに頑張って仕事をしているつもりではあるが、 30代も後半に差し掛かった現在、まだ誰かに「お世話になっている」と言われたこともないし、お中元 やお歳暮をいただいたこともないのだ。社会人になったら当たり前のように感謝をされたり贈答品もい ただけると思っていたのだが、そうではなかった。
たまにふと考える。父は「けっこうデキる男だったのではないか」と。そう、“......らしい” 抜きで。
自分もいざ社会に出て働いてみたことで、職業は違えども、父の苦労がじわじわとわかってきたのだ。地道に毎日働くことがいかに大変か、さらに誰かの役に立つ仕事というものがどんなに責任の重いもの であったか、と。そして、家庭では一切仕事の話をしなかったが、職場では嫌なこともあり歯を食いし ばった場面もあったことだろう。それに引きかえ自分ときたら......少し恥ずかしい思いがする。
自分はまだまだ若造だが、この先、ひとつひとつ仕事をこなすことで、後輩やまだ見ぬ自分の子ども に「デキる男だなぁ」と思わせたいと感じた。父のように。いや、それはちょっとハードルが高いので、 せめて「デキる男......らしい」くらいの評価でもかまわない。
遠い空の下の父の現役時代に思いを馳せながら、そんなことを考えた。