【 奨 励 賞 】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
ハラスメントのマジックワード化
奈良県立大学地域創造学部 足 達 峰 人 20歳

現代の社会では、働き方改革ということもあってかハラスメントを無くそうとする動きがメディアを 通して見受けられます。職場において社員に精神的苦痛を与えるセクハラ、モラハラ、パワハラなどの ハラスメントはあらかじめ対策を講じておくべきでしょう。私自身も就職した先で不当な嫌がらせを受 けたいとは思いません。それは、私のみでなくこれからの社会を担う若者の誰しもが考えることだと思 います。とはいえ、ハラスメント規制に重きを置くあまり職場の空気そのものが重苦しくなるのではないか、という不安もあります。

以前、友人に「セクハラなどのハラスメントは、受け手がハラスメントと感じたならば、その時点で ハラスメントになる」ということを聞きました。私は、何もハラスメントの定義を明確にしたいわけで はありません。ですが、この言葉からは、職場において上司や同僚がどれほど気遣いをしていてもハラ スメントと認識される恐れがあることが読み取れます。つまり、職場においてハラスメントのつもりで はなかったということが理解されにくくなるということです。

実際、私の周囲では、その典型といえる出来事がありました。ある会社で、上司と部下が口論になった 際に、上司が部下の肩を軽く一突きしただけでパワハラだと訴え、その上司が一時処分を受けたという ものです。もちろん、肩を一突きすること自体は暴力的であり、正しい注意の仕方ではありません。です が、その一突きは、職場で仕事をできなくなるぐらい精神的苦痛を与えるほどのものだったのでしょうか。私には、「職場での暴力は、パワハラだ。その為、この上司は処分を受けて当然だ。」という思考が 働いていたのではないかと思います。ですが、はたして部下に非はないのでしょうか。暴力自体は、許 されることでないのかもしれません。しかし、そこに至るまでのすべての出来事が上司だけの責任とい うわけではないでしょう。周囲から見れば、部下の方にも非があると思われる部分はあったのかもしれません。

つまり、自分の非に目を向けず、その上司と一緒に働きたくないという突発的な感情からハラスメン トだと主張した可能性もあるのではないでしょうか。こうしたことから、ハラスメントという言葉がど こかマジックワードのごとく認識されているのではないかと私は感じます。ハラスメントを持ち出せば、 職場において自分の不満になる要因を排除でき、ノンストレスな職場になるとでも思っているのでしょ うか。

ですが、本来、職場とは精神的快適さに比べ、精神的負担のほうが格段に多いものです。仕事は、誰 かに与えられるものである以上、自発性に比べて義務的な要素が強く働くからです。それを理解しない がためにノンストレスな職場が当然だという考えが芽生え、無制限にハラスメントを主張するようにな るのでしょう。

このようにハラスメントがマジックワードとして浸透していくと、上司は部下に対して今まで以上の 気遣いを求められると考えます。なぜなら、職場において部下が自分の非を見ようとせず、上司の不当 性のみを訴える恐れがあるからです。このままハラスメントのマジックワード化を避けなければ、何が ハラスメントと言われるのかがわからなくなるでしょう。

そういった過度な気遣いを求められる職場では、仕事をしながら楽しい関係を築くという本来のハラ スメント対策からかけ離れてしまいます。つまり、ノンストレスな職場を目指すあまり、誰もが周囲に 過度な配慮をしなければならない重苦しい場所になるのです。そうした傾向を避けるための一つとして、「ハラスメントとは何のか、働きやすい職場とは何なのか」を見直す必要があると私は感じています。

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