【 奨 励 賞 】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
母の言葉
山形県 菊 池 みなと 20歳

暑い日だった。学校が終わると、いつものようにバスに乗った。行先は母が入院する病院。一緒に食べようと思って買ったお菓子を手に病室のドアを開けると、看護師さんが母の背中をさすっていた。様子がおかしい。恐れていた事態を覚悟した。仕事を終えて駆け付けた父は、母の手をずっと握りしめて いる。苦しそうな母に「大丈夫だよ」と声をかけると、小さな声で「もう、いい」と言った。その数時間後、母は息を引き取った。弱音を聞いたのは最初で最後だった。


母は、いつも明るく元気に周りを笑顔にしてくれる、私にとって憧れの存在。仕事も家事も、全てを 完璧にこなす人だった。仕事がどんなに忙しくても、週末は必ず何処かへ出掛け、家族を楽しませてく れた。学校行事や習い事で頼まれた作業は、自ら率先して動く。働き者で、周りからいつも信頼されて いる母のことが自慢で、大好きだった。


楽しい日々はずっと続くだろうと思っていた矢先、母は病気になった。胃癌だった。診断されたとき の余命は2か月半。しかし、母は余命宣告をされたその日の夜も、いつものように御飯を作り、たわい もない話をしながら笑っていた。弱いところを見せたくなかったのだと思うが、家事をする母の背中や 表情は、どこか寂しそうだった。突然死を宣告され、どんなに辛かっただろう。怖かっただろう。


そんなある日、母は私にこんな言葉をかけてくれた。「みなと、お母さん頑張るから。支えてくれる人 たちのためにも、病気に負けないように、戦えるように精一杯生きるから」。涙ながらに語ってくれた母 の言葉に心が動かされた。と同時に、自分のためではなく、人のために必死に生きようする母の姿に勇 気が湧いた。入退院を繰り返しても、今まで通り仕事や家事をこなし精一杯働く母。「母のように人のた めに全力を尽くせる人になろう」と強く心に誓った。


母が亡くなって、今年で4年。私は、大学3年生になった。就職活動や将来について考えるようにな り、自分と向き合う時間が多くなった。学校生活でも普段の生活でも、悩みは尽きない。自分を見失う こともたくさんある。でもそんなときは、母の言葉を思い出す。「誰かのために全力を尽くすこと」。母 が教えてくれたことを胸に、精一杯生きていきたい。

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