【 奨 励 賞 】
私は、仕事をしていて気づいたことがあります。
仕事とは、私にとって「足跡」のようなものだということです。
私は、会社のロッカールームで、壁についている足跡を見た時、そう気づきました。
去年から、私は社会人として働いています。
いつものように出勤し、ロッカールームで足跡と対面した時驚きました。
今まで気づかなかったものが、いつもなんとなく見ている壁にくっきりと、存在感を放ちながら、確 かにそこに存在していました。
その足跡は私のお腹くらいの位置にあり、間違えて、とか、ただの偶然、というような動作でついて しまうものではありませんでした。大人サイズの、人間の足跡でした。
誰がつけたのかわからないものを見て、気持ち悪いと思うわけでもなく、ただ、この足跡も私と同じ ように孤独なのだと、不思議と安心感を覚えました。
この足跡をつけた人は、一体どんなことを考えていたのでしょうか。
仕事に対して悩んでいたり、家族のことでストレスを抱えて、苛立ちのあまり壁に八つ当たりして、こ の足跡を残したのかもしれない。悲しみのあまり、つい目の前にあった壁を蹴ったのかもしれない。
どのような理由にせよ、私は、この足跡を見て救われたのです。
私が孤独であると気づいたのは、社会人一年目として働き始めて、三ヶ月ほど経った頃です。
同世代の人がいない職場で働いている私は、見た目的には周りから浮いているかもしれませんが、新 卒で一人だけ若いのは当たり前で、周りとうまくやっていけているし、決して孤独ではないと考えてい ました。
しかし、気づいてしまったのです。
たまに訪問してくるお客様、郵便局の人、清掃のおばさん。
彼らの顔は、年上ばかりに囲まれている私を見て、何かを言うわけではありませんが、心の奥底では 思っているはずです。
「若い子一人でかわいそう、きっと仕事つまらないだろうな」と。
そのことに気づき私は愕然としました。それから彼らが訪れた時にしっかり顔を見るようにすると、 彼らの感情が手に取るように感じられました。労いのような表情に変化していることに気づき、私はま たもや愕然としました。
仕事ができず悲しい時、私は会社や電車、自分の部屋で泣くことがあります。それだけで充分、孤独なことだったのかもしれません。
かわいそう、と言われることにも、いつのまにか慣れました。
最初は、「新人一人でかわいそう。大変でしょ?」
その一言だけだったはずなのに。
気づいたらその言葉は波のようにどんどん広がっていて、私の力ではどうしようもできないところま で来てしまっていました。首のところまで浸かってしまって、どうにもこうにも動けません。
若い子一人でかわいそう。職場で心を割って話せる相手がいなくてかわいそう。給料低くてかわいそ う。かわいそうのオンパレード。悲しみの大行列で、どれからもつい目を背けたくなりました。
悲しみの渦に耐え切れなくなって、私は長時間のデスクワークで石のように固まった足を動かして、 ロッカールームへと向かうと、足跡は変わらずにそこにありました。
私は右手の人差し指で、薄く残った灰色の線をそっとなでました。きゅっ、という音がして、私の指 は空気を切りました。足跡の線はさっきより薄くなった様子はありません。
だいぶ過去のものでした。
今までそんなものがあるなんて気づかなかっただけで、きっとかなり前からそこに存在していたのだと思います。
私も、この足跡のようになれたらいいのに、と考えています。
注意深く見ないと気づかないような、本当はいつも当たり前にそこに存在しているものに。
周りとは少し違う、変わった存在としてではなく、いつもそこにいる当たり前の存在になりたいと、今 日までずっと願っています。