【 奨 励 賞 】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
「働く」の定義
島根県 吉 岡 裕 也 25歳

「働く」とは一体どういうことなのだろう。ふと思って私は辞書を引いてみた。「仕事をする」「生計 を維持するために、一定の職に就く。」もちろん調べるまでもなく予想していた様な答えだった。世界の 大多数がおそらくこの様な考えを持っているだろう。私もつい最近まではそう思っていた。しかし、私 の身近にいる2人の生き方を見ていると、私がこれまでに考えていた「働く」という定義を少し考え直さなくてはならないと思い始めてきた。

私の母は、日中は祖父の家で祖父のご飯作りや買い物をして祖父の面倒を毎日見ている。祖母は認知 症で施設に入居しているので、母が代わりにそれらをおこなっているのだが、その生活をもう5、6年近 く続けている。私も月に1度くらいは祖父母の顔を見に行くようにしている。幼少の頃は、よく祖父母 の家に遊びに行っていて私自身祖父母が大好きだったので、私としては少しでも恩返しになればと思っ ている。私の場合は、自分の仕事もあるのでたまにしか会えないが、母は毎日顔を合わすので、口争い になることも少なくない。ある時、私は気になって祖父には申し訳ないが「少しくらい自分の体調を優 先して行くの辞めたらいいのに」と母に尋ねたことがある。すると母は「自分の親だから面倒見るのは 当たり前だし、何より今まで育ててもらったから恩返しだわね」と答えた。やはり私は母の子だと実感 した。私が考えているのと同じように、自分がしてもらった事への恩返しとして、祖父母へその時間を 捧げているのだ。こういった「他人への恩義」も私は「働く」と同意語でないだろうか、と考えている。

その祖父も、昔は仕事一筋の人間だったらしく実兄の経営する会社でかなり上の地位までのぼり詰め たと聞いている。御年86歳でつい最近まで現役で非常勤として働いていた祖父は私には絶対に追い越せ ない高い高い存在である。これはあくまで私の考察だが、祖父は会社が「自分の居場所」であったからこ れまで働いてこられたのではないかと考えている。会社が自分の居場所、というと聞こえが悪いが、良 い意味で「自分を認めてもらえる場所」であった事は確かだろう。

私も、祖父と同様、というと烏滸がましい気持ちではあるが、今の会社に勤めて約3年経ち、色々仕 事の事で質問してもらえることも増えてきた。「頼りにされている」という事も私が今の職場で働けてい る要因の一つでもある。

「働く」というのは、母の「他人への恩義」、祖父の「自分の居場所」、私の「頼りにされている」の ように、一概に一つの言葉で表せるものではなく、10人いれば10人の考え方、働き方があると思う。実 際に私はこの2人の生き方を見ていて、改めて自分の視野の狭さを痛感した。この経験を通じて、私は 今後の日本の若者へ向けて「何を自分の軸として働くか」を考えて仕事を探す事も大事ではないか、と 伝えたい。正解なんて、きっとないのだから自分が思うままの軸を探して、これからの未来ある人生を 謳歌してくれる事を願うばかりである。

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