【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
海外で学んだ、幸せを感じる働き方
神奈川県 This_is_marina 28歳

「死にたい」

着慣れないリクルートスーツに身を包んだ大学3年生の頃の口癖だ。本気で死にたいと思っていたわ けではないけれど、2011年の就職氷河期の時代に直面した私は人生初の挫折を味わった。なんでも上手く こなせていた自分が、面接官に退屈がられ、煙たがられ、お祈りメールという形で幾度となく奈落の底 にまで突き落とされたのだ。苦しくて逃げ出したかったが、逃げたら人生負け組だと、自分の尻を叩い た。ゆうに100社以上エントリーして、最終面接まで行ったのはたったの1回。内定の連絡を貰ったとき は、新宿3丁目駅のホームで発狂した。天にまで昇る気持ちで、今までの「死にたいモード」がウソか のように世界が輝きだした。「ああ、もう死にたいなんてウソウソ、人生って楽しい!」。そんな自分の 単純さに呆れる。晴れて入社日を迎えた私は、意気揚々としていた。しかし、入社5ヶ月後の私の口癖 は、「死にたい」だった。なんだ、変わってないじゃないか。入社したコンピューターソフトフェアの会 社ではしごきにしごかれた。何をやっても上手くいかず、ミスばかり。先輩に叱咤されるのは日常茶飯 事で、トイレで涙を拭いた数も数えきれない。毎日腹痛を抱えながら満員電車で通勤していたが、仕事 は忍耐だと言い聞かせた。就職してなんとか3年が経ち、新人指導も任される立場となった私は、長年 の夢をかなえるべく退職し、海外へと旅立った。2年間過ごしたオーストラリアでは、海に囲まれたリ ゾートホテルでキッチンスタッフとして働いた。働く前は、自分の調理経験の少なさと、完全な英語環 境で、また毎日涙を流す日々を過ごすのかと不安でいっぱいだった。しかし、待っていた環境は予想に 反していた。オーストラリア人の料理長を始め、働いている人達が次々と「マリナ、今日の仕事はハッ ピー?楽しんでる?」と聞いてくるのだ。耳を疑った。「仕事を楽しむ?」そんな感覚が今まであった だろうか。仕事は常に、辛く、暗く、多少のパワハラには目をつむり、耐え凌ぐ修行のようなものでは なかったか。そのキッチンでは、仕込みの時間は大音量のロック、またぱポップミュージックをかける。掃除の時間ともなれば、全員がビックリするほどの大声でマイケル・ジャクソンを歌い、踊りながら仕 事をする。そこでは仕事は楽しむものであり、仕事の奴隷になっている人は1人もいなかった。そして、 難しい作業に眉間に皺を寄せている私に対して、スタッフは皆、口を揃えてこう言った。「マリナ、笑っ て。人生の長い時間を仕事に費やすんだから、仕事も楽しまないと」。そうか、彼らにとって仕事は「無 理して頑張るもの」じゃないんだ。仕事は人生の「一部」であって、「すべて」ではない。当たり前のよ うだが、そう認識している人はこの国にどれだけいるだろうか。仕事によって人生の幸や不幸、勝ちや 負けが決まると思い込みがちではないか。月100時間の残業、限界まで追い詰める指導、上に逆らえない 組織関係。それでもしがみつく雇用者。日本の仕事のあり方にメスが入れられている現代だが、多くの 人がここからの脱却の方法を知らない。私は海外に出て、心の霧が晴れたような気分だった。私はもっ と自分の幸せの為に仕事をしていい。

オーストラリアの滞在が残すところ2ヶ月になり、改めて「自分はどう生きたいか」ということを考え た。他人の評価や、今までのキャリアを取っ払ったとき、自分は仕事で何を実現したら幸せなのか。私 は、OLから調理師になることを決めた。

現在は帰国し、外国人と日本人が混在するレストランのキッチンで働いている。大幅なキャリアチェ ンジと、日本人と外国人の考え方の違いで、辛いと思うことももちろんあるが、「自分の幸せの為に仕事 をする」と心に決めた今、もう昔のように仕事に振り回されることはないだろう。幸せのゴールを見据 えて進路を決めた。あとは漕ぐだけ。さあ、人生第2章の幕開けだ。

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