【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
仕事は病を治してからでも遅くない
宮城県 木 村 直 人 28歳

私は、高校1年の春に3人の友達が亡くなり、生徒20人と先生2人が重軽負傷を負うという大きな事 故に遭遇した。私が横断歩道を渡った後、次のグループが横断歩道を渡っている時に発生した大事故 だった。翌日の新聞テレビのトップニュースだった。事故から数年後の大学の3年生の時、東日本大震 災に遭遇した。この頃、私自身に思わぬ異変が起きた。昼夜が逆転し、家に閉じこもるようになった。

自殺をほのめかすような言動を繰り返し、家族を心配させていた。その後、事故時のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が内在化しており、東日本大震災をきっかけとして発症したというのが医師の診断 だった。

私自身、広い意味での交通事故の被害者になっていた。発症後、今なお薬を服用している。もし病気 の発症に気づかずに自殺を実行していたらと思うと背筋が冷たくなる。

交通事故による被害に限らず、仕事が原因で心の病となり自殺をしてしまう事例もある。

自分が経験者だから断言して言えるのだが、「死にたい」と口走るのは実際に死にたい訳ではなく、心の病から来るものだ。脳が勝手に信号を送り口走る。だから、心の病というのであり、迷うことなく精神科の医師に相談した方が良い。

「死にたい」と思う心の病と風邪をひいて医師に受診するのは同じだ。違うのは精神科と内科の違いだ。私は高校1年の時から作家という仕事の夢をもち、書くための古典の資料収集をしている。最近、男女 差別の歴史を調べているうち、「女人禁制」の由来に関心をもった。その言葉のルーツを調べると仏教の 経典の中にある。中国で漢文に訳された時には「父母」となっている。それが、奈良時代に日本に伝来 した現在の経典になっている。

ところが、時代を二千年ほどさかのぼったサンスクリット語の原典に「母父」となっている。言葉の 順番などはどうでもいいと思うかもしれないが、夫と妻の関係について、もっと重要なことが書かれて いる。バーリー語の原典では、「夫は妻に5つのことで奉仕しなければならない」とし、その中に「夫は 妻を尊敬する」「夫は妻を軽蔑しない」などと書かれている。なぜ、元の言葉が変化したのか。釈迦はイ ンドで生まれ、法華経を含めた経典はサンスクリット語やバーリー語だった。それが、中国に入り儒教 の影響を受けて語順が入れ替わり誤訳されたのだ。

言葉の順番の違いは長い伝統文化に由来する。それは、今なお日本の企業文化の中にもある。最近、 ある大手企業の「死ぬ気で働け」という社則が、結果的に働く社員の「過労自殺」を招き社会的問題に なった。これは明からに本末転倒で「生きるために働く」のが正しいことだとは誰でも知っている。い つの間にか企業の中で言葉が入れ替わっていたのだ。働くことは大事だが、命はもっと大事だ。体の弱 い人、障害を持つ人でも共に生きることのできる心の豊かな社会であってほしいと思う。

ふりかえってみると、私が心の病で「死にたい」と毎日口にしていたころの自分は、先に光が見えな い暗闇の中で1日の時間を過ごして居たようなものだ。とにかく1年半の間、家から一歩の外に出るこ とができなかった。自分自身を見失い、希望を失い、長い間、自己卑下と無力感の中でうちひしがれて いた。まさに自己崩壊の中にあった。だが、人が苦しみのなかにあるのは弱いからではない。風邪をひ いた時と同じように、心が風邪をひき心の病にかかったものだと思えばいい。家族を含め互いに助け合 うことで生きていくことができる。他の人と比較し、自分を卑下するのではなく、自分には人と違う生 き方があっていいのではないかという開き直りが大切だ。

「死にたい」と口走るのは心の病なのだから、まずは心の病を治す薬を処方していただくことを考え よう。仕事は心の病を治してからでも遅くはない。弱い人や障害を持つ人にやさしくなる豊かな心をもっ て働くことができる社会となることを願っている。

 

参考資料

・植木雅俊「仏教におけるジェンダー平等研究『法華経』に至るインド仏教からの考察」お茶の水女子大 学(博乙第179号)

論文名を改題し、「仏教の中の男女観『原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想』」として岩波 書店から発行(2004年3月19日)

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