【 奨 励 賞 】
少年よ、大志を抱け。
クラーク博士との思い出は修学旅行先で写真を撮ったぐらい薄っぺらいものしかないが、後輩世代へ 伝えたいこと、と考えた時、ふとこの言葉が浮かんできた。少年よ、大志を抱け──15年前の北海道で は、まさかこんな風に思い出すことになろうとは思いもしなかった。
幼い頃から思いついたら人に相談する前に即、妄想。もし私が○○になったら、というストーリーを 脳内で構築していた。それも、もっとも成功するパターンで。
たとえば、シニアヨガのインストラクターという入り口で、リハビリデイサービスの介護職に付いて いたときは「もし、私がヨガを極めてヨガのインストラクターになったら」という妄想を日々繰り返して いた。当時、シニアヨガのインストラクターとは言っても、社内でのみ認められた肩書きであり、一般 的にいう丸の内OLさんが仕事帰りに汗を流すようなヨガとは全くといっていいほど縁がなかった。“ヨ ガ風のストレッチ体操を高齢者に教える指導員” が現実に近い肩書きだったのだが、それでも私はヨガ のインストラクターになったら成功するという根拠のない自信があった。
私の(当時の)理想プランは、こうだ。
まずは全米ヨガアライアンスが認定する養成スクールでヨガインストラクターの資格を取る。その後、 椅子ヨガや笑いヨガ、シニアヨガなどを学び介護予防のためのヨガを行うインストラクターとして近く の公民館や地域包括支援センターなどでレッスンを実施。徐々にファンを増やして少しずつレッスン依 頼を受けるようになり、やがては日本全国を飛び回りその日々を某リク○ートさんの介護メディアにて連載。介護業界を盛り上げるit girlになり、書籍を刊行。大学院に進んでジェロントロジーの学位を取 得し、ゆくゆくは大学講師として教鞭に立つ──と、ここまでポジティブ思考全開な妄想を繰り広げた ところで、私は実際に養成スクールに入校した。
そして、レッスンがスタートして1ヶ月後、手元に残ったのは約3年の教育ローンと、張り切って買っ たほぼ新品同様のおしゃれヨガウェアだけだった。
レッスン初日はうきうきしていた。しかし、初日のレッスンが終わるころには全身がこう叫んでいた、 「違和感しかない!!」。それまで進路はほぼ直感で決めていた私にとって、この “なんか違う” 感覚は 無視できるものではなく、結局はそれが全ての答えだった。なんか違う、の感覚はその後も薄れるどこ ろか日に日に強まり、1ヶ月が経つ頃にははっきりと “違う” ことを悟って自主退学をした。今思えば 自分でも呆れる話なのだが、やってみなければ分からないし納得できない私はやってみてようやく “違 う” ことを受け入れ納得できたのだ。傍から見れば、考えの浅い、忍耐力がない、と揶揄されることは 重々承知だが、それでも私にとっては自分が納得できるかどうかが何より大事だった。
では、私の進むべき道とは...?私の使命とは...?
自問自答するたびに自分自身と向き合い、妄想し、実行し、失敗したり別に道を見出したり、新しい 出会いに助けられたりしながら今日まで生きてきた。夢の国ではキャラクターが30体以上集まる撮影に スタッフとして参加したり、クラウドファンディングで月間1000万の達成額を出したり、ウグイス嬢と して選挙カーでマイクを握ったり、社長秘書をしたり、記者会見の司会をやったり......全て、誰よりも 私自身が自分の可能性を信じて納得できる行動を取った結果だったと思う。そうして、今年の春には都 庁に入局した新人職員の研修講師として、未来の官僚候補生相手に熱弁をふるう自分がいた。
これまで思い出したくもない大失敗もした。周りにも迷惑をかけてきた。自信過剰に猪突猛進!と言 いたいわけではない。ただ、自分の可能性を自分で信じない限り人生100年時代はとてつもなく長くて退 屈なものになるに違いない。だからこそ、少年たちよ、大志を抱け。