【 奨 励 賞 】
子供はとても正直だと思う。
平日の朝に3歳の娘とのやり取りがあった。
娘 「パパ、今日はお仕事?」
僕 「そうだよ」
娘 「なんでー?私、イオンに行きたい」
僕 「でも、仕事しないとイオンに行けなくなるよ」
娘 「え、なんでー?」
僕 「...」
娘にとってはパパが仕事をすることと、イオンに行くことは全く持って別物である。お金がどうやっ て財布の中に入っているのかを知らない3歳児にとっては、それらがどう繋がるのかも分からない。娘 に「仕事とはね~」みたいなことを偉そうに語ったところで、チンプンカンプンだろう。
僕は今の会社に勤めてから13年が経つ。
僕は運送業を営む会社で働いている。若輩者ではあるが、13年の間、平凡な毎日だったわけではない。
紆余曲折あり、喜怒哀楽ありながらも、何とか食らいついてきた。そして最近、自分の提案した仕事の成果が出て顧客との繋がりが増え、やっと面白いと思えるようになってきた。仕事をやらされるのでは 無く、仕事をやっているという実感が湧いてきて、日々のやりがいを感じるようになった。
先日、このような出来事があった。ある顧客が自身のミスで違う部品を発注してしまい、正しい部品を再発注するのだが、納期に余裕がないので最速で届けてほしいとの事だった。出来るだけ最短で手配 しますが、その分の費用が余分にかかることを説明したが、それでも構わないと。僕はこれまで培った ノウハウとコネクションを最大限に活用し、無事にお届けすることが出来た。
数日後、顧客から「先日は有難うございました。おかげでトラブルなく仕事を遂行することが出来ました。お礼にお食事でもいかがですか?」と連絡がきた。こちらがお金をもらう立場であるにも関わら ず、ご馳走されるなんてとんでもないと思ったが、無下に断ることも出来ないので甘えることにした。
どうやらその製品の納品は、その企業にとって今後の明暗を分けるほどの大事なプロジェクトだったようだ。本当に何度も何度もお礼を言われた。こちらとしては通常の業務を遂行したに過ぎないのだが、 過去に経験したことがないほど喜ばれた。
この経験を通して気づいたことがある。
正直なところ、僕が20代のころは「なぜ四苦八苦して頑張っているのに、会社は評価してくれないのか」と思っていた。目先の利益ばかりを追いかけていた自分。この努力がどうしたら実を結ぶかは考え ておらず、日々をルーティンのように過ごしてきたが、その経験が土台となり誰かの役に立った。自分 自身に向けている努力は自己満足でしかなく、誰かが喜んでくれて初めて価値になるということを、身をもって知ることが出来た。
無意味な努力はあるが、無駄な努力はない。これを実体験として感じた出来事だった。
娘もいつかは成長し、どういう形であれ働く日が来ると思う。
そのときに、僕自身が何を伝えることが出来るだろう。
辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、やりたくないこと、ネガティブな要素はキリが無い。
でも、頑張って汗を流し、いつかは成果を実感できるようになってほしい。嬉しい気持ちはネガティブな気持ちの何倍も生きている実感があるのだと感じてほしい。
そして、何らかの壁にぶち当たったときに、僕が経験したことを話し、少しでも気持ちが軽くなるような手助けが出来ればいい。
そうなるためにも、僕が“働く”という意味があるのかもしれない。